オロチのファミコン収集記 7
ときはファミコン再評価時代。プレステとサターンの全面戦争が勃発していた時期だった。僕は県内のお店を周り尽くしており、名古屋市内にはちらほらとレア物にプレミア価格をつける店が現れていた。メタルスレーダーグローリー5万円!衝撃的な光景だ。何も知らない僕はこれが最後の砦になるだろうと思っていた。
そのころから僕は頻繁にファミコン遠征ツアーに出かけるようなった。行き当たりばったりの車旅である。とりあえず助手席に眠りかけた友達を乗せ、夜中ひたすら23号線を西に向かった。友達が朝起きると伊勢神宮だったりするわけだ。
1号線をひたすら東に向かい、朝起きたら富士山のふもとだったこともあるし、左手に海を眺めながらどこまで行けるかってやつをやって、岡山まで行ったこともあった。とにかくバカみたいだけど楽しいツアーだった。もちろんお目当ては田舎の玩具屋に眠るファミコンなんだけど。
厄介なのが「ファミコン」という看板だ。その頃ファミコンといえば家庭用ゲーム機の代名詞だったもんだから、スーファミならともかく、プレステだろうがサターンだろうが、全部ひっくるめてファミコンと呼ばれていたのだ。大迷惑な話である。
たとえば大通りの反対側にファミコンの看板をかかげた店を見つけ、必死こいてUターンかまし、行ってみればスーファミしかなかったり、ひどい場合はスーファミすら扱ってなかったりした。JAROに電話したろかって話だ。 貧乏学生の車旅である。夜は車内で寝た。1日をフランスパン1本でやり過ごした。ガソリン代返せという話だ。
そんななかでも静岡県磐田市の玩具屋は忘れられない。その日はG君という奴と往復600キロの遠征だった。その店は本当に古き良き昭和の玩具屋って感じで、床はむき出しのコンクリート、木の枠のショーケースが所せましと並んでおり、子供が数人、店内のちょっとした遊戯スペースで遊んでいる。本当に懐かしい場所だった。
ふと見るとカウンターのうしろの棚上に、ホコリをかぶったハンドルコントローラ。そしてドレミッコ、さらに奥にハイパーショット(バンダイ)が隠れているではないか。感動した。ファミマガ等で存在は確認していたけど、実際に見たのは初めてだった。しかも3つ同時だ。新品デッドストックだ!
しかし神様はとんでもない試練を僕に与えたのだった・・・
そのころから僕は頻繁にファミコン遠征ツアーに出かけるようなった。行き当たりばったりの車旅である。とりあえず助手席に眠りかけた友達を乗せ、夜中ひたすら23号線を西に向かった。友達が朝起きると伊勢神宮だったりするわけだ。
1号線をひたすら東に向かい、朝起きたら富士山のふもとだったこともあるし、左手に海を眺めながらどこまで行けるかってやつをやって、岡山まで行ったこともあった。とにかくバカみたいだけど楽しいツアーだった。もちろんお目当ては田舎の玩具屋に眠るファミコンなんだけど。
厄介なのが「ファミコン」という看板だ。その頃ファミコンといえば家庭用ゲーム機の代名詞だったもんだから、スーファミならともかく、プレステだろうがサターンだろうが、全部ひっくるめてファミコンと呼ばれていたのだ。大迷惑な話である。
たとえば大通りの反対側にファミコンの看板をかかげた店を見つけ、必死こいてUターンかまし、行ってみればスーファミしかなかったり、ひどい場合はスーファミすら扱ってなかったりした。JAROに電話したろかって話だ。 貧乏学生の車旅である。夜は車内で寝た。1日をフランスパン1本でやり過ごした。ガソリン代返せという話だ。
そんななかでも静岡県磐田市の玩具屋は忘れられない。その日はG君という奴と往復600キロの遠征だった。その店は本当に古き良き昭和の玩具屋って感じで、床はむき出しのコンクリート、木の枠のショーケースが所せましと並んでおり、子供が数人、店内のちょっとした遊戯スペースで遊んでいる。本当に懐かしい場所だった。
ふと見るとカウンターのうしろの棚上に、ホコリをかぶったハンドルコントローラ。そしてドレミッコ、さらに奥にハイパーショット(バンダイ)が隠れているではないか。感動した。ファミマガ等で存在は確認していたけど、実際に見たのは初めてだった。しかも3つ同時だ。新品デッドストックだ!
しかし神様はとんでもない試練を僕に与えたのだった・・・
いきサラじゃん!?
昨日、友達と2人で久々に「いたスト」をやった。そいつとは大学時代ほぼ毎日やっていた。ほんと暇だったんだなあ。僕たちが選ぶキャラクタは8割がた「ひろし」と「けいこ」。しょうた、まりな、は弱いし、ともみはなんか優等生すぎて面白くない。たかゆきは愛嬌がなくてつまらない。そこで残ったのがこの2人なのだ。
僕が「おもち」、そいつが「えみこ」と名前を入力。最初の画面でひろしを選んだ瞬間、目をパチリとやるところで、うわ、むかつくーと叫ぶ。コースはアメリカ大陸。憶えてるもんだな。かなり久々だったはずなのに、体が勝手に進めていく。
株ってどういう仕組みだったっけとか言いながらも、サイコロを振ってるうちに思い出す。で、ゲームも中盤になってくると完全に思い出したのか、チャンスカードをひくとき数字が出ただけで「ハワイ直行だ」とか「いきサラじゃん!」とかなる始末。ちなみに「いきサラ」とはいきなりサラリーの略なのだ。(生き恥をさらすという意味ではない)結局その日はけいこがトップ、僕はビリだった。くやし過ぎるわ!
ちなみに昨日6月26日は奇しくもDS版いたストの発売日だったらしいぞ。公式ページはこちら。ドラクエとマリオが夢の競演だそうだ。なんかイメージが悪くなりそうだね。
僕が「おもち」、そいつが「えみこ」と名前を入力。最初の画面でひろしを選んだ瞬間、目をパチリとやるところで、うわ、むかつくーと叫ぶ。コースはアメリカ大陸。憶えてるもんだな。かなり久々だったはずなのに、体が勝手に進めていく。
株ってどういう仕組みだったっけとか言いながらも、サイコロを振ってるうちに思い出す。で、ゲームも中盤になってくると完全に思い出したのか、チャンスカードをひくとき数字が出ただけで「ハワイ直行だ」とか「いきサラじゃん!」とかなる始末。ちなみに「いきサラ」とはいきなりサラリーの略なのだ。(生き恥をさらすという意味ではない)結局その日はけいこがトップ、僕はビリだった。くやし過ぎるわ!
ちなみに昨日6月26日は奇しくもDS版いたストの発売日だったらしいぞ。公式ページはこちら。ドラクエとマリオが夢の競演だそうだ。なんかイメージが悪くなりそうだね。
オロチのファミコン収集記 6
僕は一人ぼっちになっていた。周りのみんながファミコン集めに飽きてしまったのだ。ここはひとつ冷静になって考えてみよう。たしかに1000本は越えたよ。でもよく見ろ。同じのがたくさんあるじゃないか。3割はかぶってるぞ。タイトル数でいえば700くらいか。そもそもファミコンって何本発売されたんだ。あとどれだけ集めればいいんだ。見当も付かない・・・
ときは既にファミコン再評価時代黎明期。都会でレアだと判定されたソフトに、とんでもないプレミアがつけられ、田舎にも押し迫っていた。でも僕はいまだにファミコン大好き少年のまま。何がレアなのか、何にプレミアがついているのかわからないし、考えたこともなかった。周りに詳しい人間もいなかったし、インターネットもなかった。どうしたものかと考えた僕は、とりあえず集めたソフトを整理してみた。
これまで僕が集めたファミコンソフトをどうしてたかというと、箱入りのものやディスクは棚に、裸カセットは色別で適当にダンボールに入れていたのだ。グラデーションを作ったりして楽しんだ。うーん、まるで虹みたい(なにを言うとんじゃ)。でもこれだと何がどこにあるかわかりにくいぞ。じゃあ、あいうえお順にしてみようか。うーん、たしかにわかりやすいくなったが、漠然としすぎている。試行錯誤を繰り返すうちに僕はカセットの中に番号がついてるものがあることを発見した。これだ!
うすうす気づいていたがファミコンソフトの中には番号がふってあるものが存在する。よーし、メーカー別にわけてみるか。するとどうだろう。不完全ながらもファミコンの全体像が見えてきたぞ。つまりメーカー別にわけて、番号に欠番があったならそのソフトは持ってないってことになる。それを逆算していけばソフトのだいたいの総数が推測できるってわけだ。
一番最初に目に付いたのはナムコだった。1番ギャラクシアンから18番スカイキッドを並べてみる。続いてアイレム、ニチブツ、セタ、タイトーなどに取り掛かった。とくにタイトーの後期の物に欠番が多かった。続いて箱に番号がふってあるテクモ、さらには型番に通し番号がふってあるらしいアスキーやジャレコに取りかかった。なかには元々欠番になってる番号もあるみたいだった。(ゲームボーイもカウントされていたため?)しかしそんなことは知る由もない。僕はひたすらカセットを番号順に並べ続けた。
今ふり返ってみると、コレクターだったら普通にそうしていたことだったかもしれないし、そんなことでファミコンの全体像が見えるわけもなかった。でも当時の僕にとっては、それが唯一の道しるべだったのだ。
ときは既にファミコン再評価時代黎明期。都会でレアだと判定されたソフトに、とんでもないプレミアがつけられ、田舎にも押し迫っていた。でも僕はいまだにファミコン大好き少年のまま。何がレアなのか、何にプレミアがついているのかわからないし、考えたこともなかった。周りに詳しい人間もいなかったし、インターネットもなかった。どうしたものかと考えた僕は、とりあえず集めたソフトを整理してみた。
これまで僕が集めたファミコンソフトをどうしてたかというと、箱入りのものやディスクは棚に、裸カセットは色別で適当にダンボールに入れていたのだ。グラデーションを作ったりして楽しんだ。うーん、まるで虹みたい(なにを言うとんじゃ)。でもこれだと何がどこにあるかわかりにくいぞ。じゃあ、あいうえお順にしてみようか。うーん、たしかにわかりやすいくなったが、漠然としすぎている。試行錯誤を繰り返すうちに僕はカセットの中に番号がついてるものがあることを発見した。これだ!
うすうす気づいていたがファミコンソフトの中には番号がふってあるものが存在する。よーし、メーカー別にわけてみるか。するとどうだろう。不完全ながらもファミコンの全体像が見えてきたぞ。つまりメーカー別にわけて、番号に欠番があったならそのソフトは持ってないってことになる。それを逆算していけばソフトのだいたいの総数が推測できるってわけだ。
一番最初に目に付いたのはナムコだった。1番ギャラクシアンから18番スカイキッドを並べてみる。続いてアイレム、ニチブツ、セタ、タイトーなどに取り掛かった。とくにタイトーの後期の物に欠番が多かった。続いて箱に番号がふってあるテクモ、さらには型番に通し番号がふってあるらしいアスキーやジャレコに取りかかった。なかには元々欠番になってる番号もあるみたいだった。(ゲームボーイもカウントされていたため?)しかしそんなことは知る由もない。僕はひたすらカセットを番号順に並べ続けた。
今ふり返ってみると、コレクターだったら普通にそうしていたことだったかもしれないし、そんなことでファミコンの全体像が見えるわけもなかった。でも当時の僕にとっては、それが唯一の道しるべだったのだ。
オロチのファミコン収集記 5
しかし僕が知っていたそれらの個人店のそのほんとが、21世紀を迎える前に、まるで申し合わせたかのように、いっせいに潰れてしまったのだ。ゲーム市場の変化にともないチェーン店が勢力を拡大したためだと思われるが、永久に降りてしまったシャッターを前にすると、何ともはがゆい気持ちにさせられた。
僕はファミコンを買うとき必ずやることがある。値切りだ。個人経営の店でファミコンを買うと、よく店の人が昔話をしてくれた。全盛期は1日100本以上売れただの、今じゃあ売れば売るほど赤字だの、いわゆる武勇伝や愚痴である。値切りはそんな話のあいづちみたいなものだった。なかにはあまり友好的じゃない店もあって、僕がファミコン置いてありますかって聞くと「あるけど安くないよ」とか「最近そういう人多いのよね」とかブツブツ言われ、しまいには売ってくれないところもあった。でもたいていのお店は友好的で、値引きに応じてくれた。そんなやりとりが楽しかったのだ。
しかし大手チェーン店ともなるとそうはいかない。まず相手がバイト君なのだ。その時点でハードルを1つ越えなければならない。必ずはぁ?って顔された。店長を呼びにどっか行ってしまう。たいていは不在か、奥から店長が出てきて丁寧に断られた。時代の流れってやつだね。
まあ、そんなこんなで気付いてみたらなんとファミコンソフトの所有数が4桁を越えていたのだ。夢の1000本越え達成である。やったどー!
でも現実はそんなに甘くなかった・・・
僕はファミコンを買うとき必ずやることがある。値切りだ。個人経営の店でファミコンを買うと、よく店の人が昔話をしてくれた。全盛期は1日100本以上売れただの、今じゃあ売れば売るほど赤字だの、いわゆる武勇伝や愚痴である。値切りはそんな話のあいづちみたいなものだった。なかにはあまり友好的じゃない店もあって、僕がファミコン置いてありますかって聞くと「あるけど安くないよ」とか「最近そういう人多いのよね」とかブツブツ言われ、しまいには売ってくれないところもあった。でもたいていのお店は友好的で、値引きに応じてくれた。そんなやりとりが楽しかったのだ。
しかし大手チェーン店ともなるとそうはいかない。まず相手がバイト君なのだ。その時点でハードルを1つ越えなければならない。必ずはぁ?って顔された。店長を呼びにどっか行ってしまう。たいていは不在か、奥から店長が出てきて丁寧に断られた。時代の流れってやつだね。
まあ、そんなこんなで気付いてみたらなんとファミコンソフトの所有数が4桁を越えていたのだ。夢の1000本越え達成である。やったどー!
でも現実はそんなに甘くなかった・・・
恐怖の前ちゃん事件
コロコロコミックが30周年を迎えるそうで、おめでとうございます。記念企画として高橋名人とタミヤの前ちゃん他、当時の担当者2名による座談会が開催されたらしい。
名人が自身のブログでそのことを発表すると、多数のコメントが寄せられ、そのなかに前ちゃん本人が降臨するという、微笑ましいやりとりも見られた。っていうか名人がコメントした全員にまじめにレスしてるところにビックリ。
ファミコンにはあまり関係ないんだけど、前ちゃんの話題が出たので今回はこの話。僕が小学生のころに体験した「恐怖の前ちゃん事件」である。その日、僕が部屋でごろごろしながらコロコロコミックを読んでいると、ラジコン特集のページに毎度おなじみ、前ちゃんが出ていた。両手にラジコンを持ってフキダシから何かコメントをしている。それを見た僕はある衝動にかられ、油性のペンを取った。キュッキュ。
僕は前ちゃんの顔にらくがきをしたのだ。とんでもない傑作だった。腹を抱えながら姉に見せにいく。普段は冷静な姉が、でんぐり返しをしながら笑い転げた。何も言うことはない。満足した僕はその夜、ぐっすりと眠った。
次の日、僕はひまだったので、またそのコロコロコミックを読み始めた。何かがおかしい。そういえば前ちゃんの顔にらくがきしてたっけ。どれどれ・・・
ギャー!!!
なんと前ちゃんの顔にしたらくがきが綺麗サッパリ消えていたのだ。何度見ても前ちゃんは元の顔に戻っていて、何事もなかったかのようにニコニコ笑っていた。血相を変えて、姉に見せにいく。たしかにあたしも見たと姉は首をかしげた。どうしよう、大変なことになっちゃった。頭をかかえ込む僕。そして幼い姉弟が未発達なオツムで考え抜いた結果、これは前ちゃんの呪いであるという結論に達したのは言うまでもない。僕はその日から眠れぬ夜を過ごしたのだった。どうだかわいいだろ。
でも後日よく見たらインクのせいか、そのページが次のページとくっついてて、偶然、次のページにも同じ位置に、同じような構図の写真があったという真実が判明したのだ!ガッカリさせてすみません。そして前ちゃんにもごめんなさい。もう2度とらくがきなんかしませんから!
名人が自身のブログでそのことを発表すると、多数のコメントが寄せられ、そのなかに前ちゃん本人が降臨するという、微笑ましいやりとりも見られた。っていうか名人がコメントした全員にまじめにレスしてるところにビックリ。
ファミコンにはあまり関係ないんだけど、前ちゃんの話題が出たので今回はこの話。僕が小学生のころに体験した「恐怖の前ちゃん事件」である。その日、僕が部屋でごろごろしながらコロコロコミックを読んでいると、ラジコン特集のページに毎度おなじみ、前ちゃんが出ていた。両手にラジコンを持ってフキダシから何かコメントをしている。それを見た僕はある衝動にかられ、油性のペンを取った。キュッキュ。
僕は前ちゃんの顔にらくがきをしたのだ。とんでもない傑作だった。腹を抱えながら姉に見せにいく。普段は冷静な姉が、でんぐり返しをしながら笑い転げた。何も言うことはない。満足した僕はその夜、ぐっすりと眠った。
次の日、僕はひまだったので、またそのコロコロコミックを読み始めた。何かがおかしい。そういえば前ちゃんの顔にらくがきしてたっけ。どれどれ・・・
ギャー!!!
なんと前ちゃんの顔にしたらくがきが綺麗サッパリ消えていたのだ。何度見ても前ちゃんは元の顔に戻っていて、何事もなかったかのようにニコニコ笑っていた。血相を変えて、姉に見せにいく。たしかにあたしも見たと姉は首をかしげた。どうしよう、大変なことになっちゃった。頭をかかえ込む僕。そして幼い姉弟が未発達なオツムで考え抜いた結果、これは前ちゃんの呪いであるという結論に達したのは言うまでもない。僕はその日から眠れぬ夜を過ごしたのだった。どうだかわいいだろ。
でも後日よく見たらインクのせいか、そのページが次のページとくっついてて、偶然、次のページにも同じ位置に、同じような構図の写真があったという真実が判明したのだ!ガッカリさせてすみません。そして前ちゃんにもごめんなさい。もう2度とらくがきなんかしませんから!
オロチのファミコン収集記 4
時代はどこまでも僕たちの味方だった。いわゆるファミコン氷河期というやつだ。レンタルビデオ屋やディスカウントショップでファミコンが捨て値で売られていた時代である。ワゴンに山積みだ。箱説で100円200円は当たり前。中には80円や50円ってのもあったぞ。プレミアのプの字もなかったもんだから、選びたい放題の買いたい放題。店員さんに不審がられることなどお構いなし。両手で抱えきれないほどのファミカセをレジに持って行くと5000円でおつりが来た。
3年生になった僕は大学へ車で行くようになっていたのだが、週2日しか通ってなかった。でも(ギリギリだったけど)ちゃんと卒業できたんだぞ。どういうことかと言うと、こういうことだ。
【月曜】 自宅 ─(2時間)→ 大学 ─(5分)→ 友人の下宿先
【火曜】 下宿先 ─(5分)→ 大学 ─(10時間)→ 自宅
【水曜】 <休>
【木曜】 自宅 ─(2時間)→ 大学 ─(5分)→ 友人の下宿先
【金曜】 下宿先 ─(5分)→ 大学 ─(10時間)→ 自宅
【土曜】 <休>
【日曜】 <休>
まあこんな具合で、自宅から大学へいくのは週2日である。さてこの図でいくと自宅から大学までは2時間。そして帰りは10時間ってことになってるね。どうだ訳がわからんだろう。でも答えは簡単だ。恐ろしく時間をもてあましていた僕は県内中のあらゆる市町村をまわり、ファミコンが売ってそうなお店を探しながら帰っていたのである。おかげで大学から自宅までのルートを1000通りは知ってるぞ。ときには三河の山奥に迷い込み、半泣きになったこともあった。(アホだ・・・)
僕は高校が名古屋で、元々市内の店をいくつか知っていたから、まずは名古屋市内をぐるぐるまわった。吹上のVISCO、本山のキンキーハウス、大須のドルフィン、今池のまんが道など。どの店も高校時代から何度か足を運んでいた思い出の店だ。
そして名古屋市外も積極的にまわった。知多巽ヶ丘駅近くのプラモデル屋、碧南中央駅近くの中古ソフト屋。刈谷高校近くのゲーム屋、瀬戸商店街のゲーム屋、その他、安城、豊田、豊橋、大府、半田、常滑、長久手、小牧、春日井などににあった玩具屋さん。
今でもすべてのお店を思い出すことができる。昨日のことのようにね・・・
3年生になった僕は大学へ車で行くようになっていたのだが、週2日しか通ってなかった。でも(ギリギリだったけど)ちゃんと卒業できたんだぞ。どういうことかと言うと、こういうことだ。
【月曜】 自宅 ─(2時間)→ 大学 ─(5分)→ 友人の下宿先
【火曜】 下宿先 ─(5分)→ 大学 ─(10時間)→ 自宅
【水曜】 <休>
【木曜】 自宅 ─(2時間)→ 大学 ─(5分)→ 友人の下宿先
【金曜】 下宿先 ─(5分)→ 大学 ─(10時間)→ 自宅
【土曜】 <休>
【日曜】 <休>
まあこんな具合で、自宅から大学へいくのは週2日である。さてこの図でいくと自宅から大学までは2時間。そして帰りは10時間ってことになってるね。どうだ訳がわからんだろう。でも答えは簡単だ。恐ろしく時間をもてあましていた僕は県内中のあらゆる市町村をまわり、ファミコンが売ってそうなお店を探しながら帰っていたのである。おかげで大学から自宅までのルートを1000通りは知ってるぞ。ときには三河の山奥に迷い込み、半泣きになったこともあった。(アホだ・・・)
僕は高校が名古屋で、元々市内の店をいくつか知っていたから、まずは名古屋市内をぐるぐるまわった。吹上のVISCO、本山のキンキーハウス、大須のドルフィン、今池のまんが道など。どの店も高校時代から何度か足を運んでいた思い出の店だ。
そして名古屋市外も積極的にまわった。知多巽ヶ丘駅近くのプラモデル屋、碧南中央駅近くの中古ソフト屋。刈谷高校近くのゲーム屋、瀬戸商店街のゲーム屋、その他、安城、豊田、豊橋、大府、半田、常滑、長久手、小牧、春日井などににあった玩具屋さん。
今でもすべてのお店を思い出すことができる。昨日のことのようにね・・・
熱血!すとりーとバスケットの新品の数
6月14日(昨日か)プレミアソフトとして名高いあの「熱血!すとりーとバスケット」が携帯ゲームとして登場したらしい。まあファミコンの名作が携帯ゲームとして復活することはよくあることで、普段ならスルーなんだが、こちらのニュース記事を見て頂きたい。
なんとこのソフト、ファミコン後期の発売ながら18万本も売れていたというのだ。18万本て。けっこうな数ですやんか。正直よくわからんけど、文面から察するにいい数字だったんだろう。当時のファミコン人口が2000万人としたら、約100人に1人は持ってた計算になるわけだ。学年で1人か2人か。まあそんな感じかもね。
じゃあ今は何本くらい残ってて、そのうち新品はどれだけあるか計算してみよう。まず18万本のうち30%は捨てられたり壊れたりせず残ったと仮定する。そしてその20%が箱や説明書つきの完品だとする。さらにその中で20%が美品、さらにその10%が新品だとすると・・・
新品の数は200ちょっとになるんだね。妄想終わり!
なんとこのソフト、ファミコン後期の発売ながら18万本も売れていたというのだ。18万本て。けっこうな数ですやんか。正直よくわからんけど、文面から察するにいい数字だったんだろう。当時のファミコン人口が2000万人としたら、約100人に1人は持ってた計算になるわけだ。学年で1人か2人か。まあそんな感じかもね。
じゃあ今は何本くらい残ってて、そのうち新品はどれだけあるか計算してみよう。まず18万本のうち30%は捨てられたり壊れたりせず残ったと仮定する。そしてその20%が箱や説明書つきの完品だとする。さらにその中で20%が美品、さらにその10%が新品だとすると・・・
新品の数は200ちょっとになるんだね。妄想終わり!
オロチのファミコン収集記 3
上々のロケットスタートを決めた僕たちだったが、そろそろ同級生や知り合いのつても頭打ちだ。だったらぜんぜん知らない人からもらおうってことになった。(あくまでタダでもらおうという発想かよ)そこで僕はあるものに目をつけた。「マンモスフリーマーケット」という雑誌である。それは「売ります/買います/ください」などの記事を誰でも無料で掲載できるという、現代でいうネット掲示板のような雑誌だった。僕はそこに「ファミコン求む」という記事を載せたのだ。
するとけっこう反応があって、次々に連絡が舞い込んだ。印象に残ってるのは、200本くらいのカセットと150枚くらいのディスクを捨て値で譲ってくれた豊田のお兄さん。停学中だったにも関わらず、マニアックな周辺機器ばかり段ボールごとくれた犬山の高校生くん。
金山駅で待ち合わせて30本くらいのカセットをくれたお姉さんとその彼。都会ではファミコンにプレミアがついてるってことを教えてくれた半田のお兄さん。ファミコン専用のスーツケース(右写真)にカセットを入れて持ってきてむしろそのケースを下さいとお願いしたら、快くケースごと譲ってくれた港区の学生さん、本当に感謝している。
もちろんその他、数え切れない親切な人たちに会って、数え切れないほどのファミコンをいただき、交換し、譲ってもらった。都合がいいことに僕はちょうど自動車免許を取ったばかり。運転が楽しくて仕方ない時期だし、さらに体力も時間も腐るほどあったから県内ならどこでも回収しに行けたのだ。僕の愛車はさながらファミコンバキュームカーと言ったところか。そんな臭いドライブに付き合ってくれた友人たち。みんなに感謝だ。
これで僕のファミコンソフト所有数は一気に2倍以上になった。計7、800本くらいだろうか。夢の1000本越えが見えてきたぞ!
するとけっこう反応があって、次々に連絡が舞い込んだ。印象に残ってるのは、200本くらいのカセットと150枚くらいのディスクを捨て値で譲ってくれた豊田のお兄さん。停学中だったにも関わらず、マニアックな周辺機器ばかり段ボールごとくれた犬山の高校生くん。
金山駅で待ち合わせて30本くらいのカセットをくれたお姉さんとその彼。都会ではファミコンにプレミアがついてるってことを教えてくれた半田のお兄さん。ファミコン専用のスーツケース(右写真)にカセットを入れて持ってきてむしろそのケースを下さいとお願いしたら、快くケースごと譲ってくれた港区の学生さん、本当に感謝している。もちろんその他、数え切れない親切な人たちに会って、数え切れないほどのファミコンをいただき、交換し、譲ってもらった。都合がいいことに僕はちょうど自動車免許を取ったばかり。運転が楽しくて仕方ない時期だし、さらに体力も時間も腐るほどあったから県内ならどこでも回収しに行けたのだ。僕の愛車はさながらファミコンバキュームカーと言ったところか。そんな臭いドライブに付き合ってくれた友人たち。みんなに感謝だ。
これで僕のファミコンソフト所有数は一気に2倍以上になった。計7、800本くらいだろうか。夢の1000本越えが見えてきたぞ!
オロチのファミコン収集記 2
大学生になると僕の家は友達のたまり場になっていた。正確に言えば家じゃないんだけど。高校のときに親が別の場所に家を新築したので、今まで借家だったそこは、親の経営する会社の事務所になっていたのである。で、2Fがまるまる空いていたので、その部屋のひとつに僕が住み着いてしまったわけだ。隣の部屋にはときにはエジプト人が、ときには作家志望の女性が暮らしていた。で、1Fの奥がレコーディングスタジオだったりして(といっても防音設備も何も無い単なる楽器部屋だが)本当に訳がわからないんだけど、何万回思い出しても、全部事実なのだ。
僕たちは毎日、麻雀をやったり、コンビニでプリンを全種類買ってきたり、一晩中フリスビーをやったり、即興アングラソングを録音したり、ミニ四駆のコースを作ってみたり、女の子を呼んで鍋パーティをやったり、スケボーをやったり、庭でアリの行列を見てたら、それが僕たちの部屋に続いてたりと、バカみたいな日々を過ごしていた。そんな中、みんながファミコンカセットを持ってきて、いつのまにかカセットが100本くらいになってたんだよね。よく憶えてないんだけど、とにかくキン消しとかビックリマンシールとか、みんな持ってくるから僕の部屋はいつしか、みんなが小学校のころ遊んだおもちゃの墓場みたいになっていた。
その頃のゲーム市場といえば、次世代ゲーム機だ何だと騒がれ始めた時期で、実はいうと僕も発売されてすぐにプレステを買ったんだけど、3日で友達に売ってしまった。ポリゴンが気持ち悪かったのだ。やがて僕たちは毎日テクモワールドサッカーや、Drマリオや、いただきストリートをやるようになり、何気なく思った。ファミコンのカセットって何種類くらいあるのだろうって。それでなんとなく集めてみようってなったんだ。
そしたら集まる集まる。そりゃそうだ。僕たちの世代はまさにファミコン世代。小学生のときにファミコン全盛期を過ごした世代だ。同級生にファミコンを持ってない奴なんていなかったし(あ、セガしか持ってないやつが一人いたか・・・)、しかも現役でファミコンをやってるやつもいない。押入れに眠っているファミコンのカセット持参で遊びに来いと言って、連絡が取れる奴を片っ端から呼べばいいだけの話だった。
まさにファミコンが向こうから勝手にやってくる状態。僕たちは見事にロケットダッシュを決めたわけだ。カセットの数は瞬く間に300本を越えたのだった・・・
僕たちは毎日、麻雀をやったり、コンビニでプリンを全種類買ってきたり、一晩中フリスビーをやったり、即興アングラソングを録音したり、ミニ四駆のコースを作ってみたり、女の子を呼んで鍋パーティをやったり、スケボーをやったり、庭でアリの行列を見てたら、それが僕たちの部屋に続いてたりと、バカみたいな日々を過ごしていた。そんな中、みんながファミコンカセットを持ってきて、いつのまにかカセットが100本くらいになってたんだよね。よく憶えてないんだけど、とにかくキン消しとかビックリマンシールとか、みんな持ってくるから僕の部屋はいつしか、みんなが小学校のころ遊んだおもちゃの墓場みたいになっていた。
その頃のゲーム市場といえば、次世代ゲーム機だ何だと騒がれ始めた時期で、実はいうと僕も発売されてすぐにプレステを買ったんだけど、3日で友達に売ってしまった。ポリゴンが気持ち悪かったのだ。やがて僕たちは毎日テクモワールドサッカーや、Drマリオや、いただきストリートをやるようになり、何気なく思った。ファミコンのカセットって何種類くらいあるのだろうって。それでなんとなく集めてみようってなったんだ。
そしたら集まる集まる。そりゃそうだ。僕たちの世代はまさにファミコン世代。小学生のときにファミコン全盛期を過ごした世代だ。同級生にファミコンを持ってない奴なんていなかったし(あ、セガしか持ってないやつが一人いたか・・・)、しかも現役でファミコンをやってるやつもいない。押入れに眠っているファミコンのカセット持参で遊びに来いと言って、連絡が取れる奴を片っ端から呼べばいいだけの話だった。
まさにファミコンが向こうから勝手にやってくる状態。僕たちは見事にロケットダッシュを決めたわけだ。カセットの数は瞬く間に300本を越えたのだった・・・
未だに残ってる旧サイト
yahoo!とかgoogleで「幻のソフト」と検索してみてくれ。1,2番目くらいにうちのサイトが出てくるはずだが、4,5番目くらいに幻のソフトっていうページが出てくると思う。何を隠そうそこは僕が8年前くらいにやってたサイトなのだ。いまだに消えずに残ってるところがすごいよね。いまさら編集することもできないし、どうしようもない。
もっとすごいのがそこから別のコーナーへ行けることなんだ。なぜか画像以外は削除されずに残ったらしく、ちょっと読みづらいページもあるが、確実に僕の昔の文章を読むことができるのである。勢いだけで書いたと思われる(今でもそうだけど)つたない文章を読んでると本当に恥ずかしい。だけど教えちゃうみたいな。
ちなみに字が見えにくいところは「ctrl」+「A」で文字を反転させると見やすくなるぞ。ここだけの話、新サイトに移行するときに廃止された何でもTOP5や、ファミコン確信犯なんていう、微妙なコーナーも楽しむことができる。
僕にとってはネット上にタイムカプセルが埋まってるようなもんだ。アスクネット様に是非お願いしたい。これからも僕の旧サイトを残してくださいと。
もっとすごいのがそこから別のコーナーへ行けることなんだ。なぜか画像以外は削除されずに残ったらしく、ちょっと読みづらいページもあるが、確実に僕の昔の文章を読むことができるのである。勢いだけで書いたと思われる(今でもそうだけど)つたない文章を読んでると本当に恥ずかしい。だけど教えちゃうみたいな。
ちなみに字が見えにくいところは「ctrl」+「A」で文字を反転させると見やすくなるぞ。ここだけの話、新サイトに移行するときに廃止された何でもTOP5や、ファミコン確信犯なんていう、微妙なコーナーも楽しむことができる。
僕にとってはネット上にタイムカプセルが埋まってるようなもんだ。アスクネット様に是非お願いしたい。これからも僕の旧サイトを残してくださいと。
オロチのファミコン収集記 1
ファミコンが発売されたころ、僕は小学2年生。運命は感じなかったけど、友達の家で初めてマリオブラザーズをやった瞬間は今でも憶えてる。もともと僕はスケート場とかデパートの屋上にドンキーコングなどのアーケードゲームの筐体があると、それをいつまでも眺めてられるような子供だったのだ。ゲームには興味があったらしい。
そんな僕が親に、やっとファミコンを買ってもらったのは小学6年生のときで、カセットは高橋名人の冒険島だった。案の定やりすぎてすぐに取り上げられたけど、数日後、僕は母親の前で「あのころは楽しかったなあ」と、しみじみ涙を流し奪回に成功したというじゃないか。我ながら演技派だった思うよ。
友達の中にはクリスマスにしかファミコンをやらせてもらえないって奴もいたけど、そいつはここぞとばかりに聖夜にドラクエをやってたなあ。去年やっとローラ姫を助けたって言ってたっけ。っていうか、いつまで禁止されとるんじゃ!まあウソだけどね。
でもそんな僕も中学生になると勉強や部活や恋愛に追われるようになり、世間ではスーファミが出たって大騒ぎだったけど、田舎だったし、結局ディスクシステムも買ってもらえなかったし。僕の人生の中でもっともファミコンと疎遠だった時代かな。
ところがどっこい高校生になったら毎日狂ったように任天堂のサッカーをやるようになったのだ。なんか壮絶な失恋でもしたんだろうか。(してねえよ!)それぞれのチームの選手に名前をつけて、毎日トーナメントを開き、結果をノートにまとめてたっけ。あのゲームは対戦チームが選べないから、目当てのチームが出るまで何度もリセットを押し・・・あー暗っ!でも待ってくれ。世は少年ジャンプ全盛期。何でもトーナメントで解決できた時代だったのだ。僕だけじゃないぞ!
しかし男子校ってやつは男子が極端に2種類に別れるね。毎日コンパしまくってる遊び人グループと、毎日ゲーセンに通ってるオタクグループだ。僕はどっちのグループにも顔が効くような、悪く言えば中途半端な奴だった。コンパでいい思いしたことはほとんどなかったし、かといって当時ブームだった格ゲーで連勝することもほとんどなかった。テトリスだけは超人的に上手かったけどね。そして見事なまでにゆっくりと、そして確実に、後者のグループに落ち着いていったのである。ヴォーカルが絶叫するだけのアングラなバンドなんか結成したりして、ますますモテない方向へ・・・元気出して。
それはさておき、任天堂のサッカーはどのチームを選ぼうがステータス的には何もかわらず、各選手の区別すらない。そんなゲームだって、手前の想像力と技術だけで、ゲーム性、グラフィック、やりこみ度を何倍にもできた。少なくとも僕にとってゲームとは、そういうものだったのだ。そういう時代だった。僕だけじゃないぞ!
だけど夢にも思わなかったな。ファミコンを集めようだなんて・・・
そんな僕が親に、やっとファミコンを買ってもらったのは小学6年生のときで、カセットは高橋名人の冒険島だった。案の定やりすぎてすぐに取り上げられたけど、数日後、僕は母親の前で「あのころは楽しかったなあ」と、しみじみ涙を流し奪回に成功したというじゃないか。我ながら演技派だった思うよ。
友達の中にはクリスマスにしかファミコンをやらせてもらえないって奴もいたけど、そいつはここぞとばかりに聖夜にドラクエをやってたなあ。去年やっとローラ姫を助けたって言ってたっけ。っていうか、いつまで禁止されとるんじゃ!まあウソだけどね。
でもそんな僕も中学生になると勉強や部活や恋愛に追われるようになり、世間ではスーファミが出たって大騒ぎだったけど、田舎だったし、結局ディスクシステムも買ってもらえなかったし。僕の人生の中でもっともファミコンと疎遠だった時代かな。
ところがどっこい高校生になったら毎日狂ったように任天堂のサッカーをやるようになったのだ。なんか壮絶な失恋でもしたんだろうか。(してねえよ!)それぞれのチームの選手に名前をつけて、毎日トーナメントを開き、結果をノートにまとめてたっけ。あのゲームは対戦チームが選べないから、目当てのチームが出るまで何度もリセットを押し・・・あー暗っ!でも待ってくれ。世は少年ジャンプ全盛期。何でもトーナメントで解決できた時代だったのだ。僕だけじゃないぞ!
しかし男子校ってやつは男子が極端に2種類に別れるね。毎日コンパしまくってる遊び人グループと、毎日ゲーセンに通ってるオタクグループだ。僕はどっちのグループにも顔が効くような、悪く言えば中途半端な奴だった。コンパでいい思いしたことはほとんどなかったし、かといって当時ブームだった格ゲーで連勝することもほとんどなかった。テトリスだけは超人的に上手かったけどね。そして見事なまでにゆっくりと、そして確実に、後者のグループに落ち着いていったのである。ヴォーカルが絶叫するだけのアングラなバンドなんか結成したりして、ますますモテない方向へ・・・元気出して。
それはさておき、任天堂のサッカーはどのチームを選ぼうがステータス的には何もかわらず、各選手の区別すらない。そんなゲームだって、手前の想像力と技術だけで、ゲーム性、グラフィック、やりこみ度を何倍にもできた。少なくとも僕にとってゲームとは、そういうものだったのだ。そういう時代だった。僕だけじゃないぞ!
だけど夢にも思わなかったな。ファミコンを集めようだなんて・・・
あのファミコンメーカーは今!? その10
最後は周辺機器メーカーと番外編だ!
スピタル「ファミリーキング」…ファミコン初期にコントローラ等を出してた会社。現役。
HORI「ホリコマンダー」…家庭用ゲームコントローラ会社の代名詞!現役。
マイコンソフト「XE-1」…コントローラや周辺機器を出してた会社。現役。
サンワ電子「Mr JOY」…ラジコンリモコンを手がけてる同名の会社が現在もある。同じかどうかは不明だがゲーム関連事業からは撤退してる模様。
はなやま玩具「ウルテク3名人くん」…知恵の輪で有名な会社。現役。
ダイトー「ファミリースティック」…初期にコントローラを出したっきり消えた。不明。
シャープ、福武書店、その他周辺機器を出した会社…省略。
番外編1 裏ソフトメーカー
ハッカーインターナショナル…非公認ソフトをつくり続けた会社。ファミコン後、マップジャパンとしてPS等で活動するも2001年、活動休止宣言。事実上の撤退。社長は河口恭吾をデビューさせたことで有名。
セゾン「雑学オリンピック」…代表作はPCからの移植。ハッカーに次ぐ裏メーカーだった。セゾンカードとは何の関係もないだろう。不明。
キネマミュージック「メタルファイターμ」…非公認ROMを1本だけだして忽然と消えていった会社。不明。
MIMI PRO、インディーズソフト、フェニックス、スーパーピッグ、その他…それぞれファミコン裏系ソフトの開発メーカー。いずれも不明。
・番外編2 幻のファミコンメーカー
ザインソフト「トリトーン(発売中止)」…1984年、兵庫に設立。PCゲームソフトメーカーとして伝説的な会社らしい。倒産。
アクレイムジャパン「BIG FOOT(発売中止)」…米国はアクレイムというメーカーの日本支社。メガドライブで「マキシマムカーネイジ」という伝説的ゲームを出したことで有名。97年、日本から撤退。本家はまだ健在。名前が似てるがアイレムとは無関係。
ミサワエンターテイメント「アダムス・ファミリー (発売中止)」… 93年ごろまで健在だった会社。代表作はファミコンでは中止だったけど、それぞれスーファミとゲームボーイで出た。今では不明。
やっと終わったか。漏れたメーカーとか無いだろうな・・・あるだろうね。開発メーカーまで含めるとまだまだあると思う。でも終了。数年前に調べてまとめておいた資料を参考にするつもりが、結局はまた色々調べるハメになって思ったより大変な作業だった。こうなったら改めてまとめページを1コーナーとして作ってみるか?
スピタル「ファミリーキング」…ファミコン初期にコントローラ等を出してた会社。現役。
HORI「ホリコマンダー」…家庭用ゲームコントローラ会社の代名詞!現役。
マイコンソフト「XE-1」…コントローラや周辺機器を出してた会社。現役。
サンワ電子「Mr JOY」…ラジコンリモコンを手がけてる同名の会社が現在もある。同じかどうかは不明だがゲーム関連事業からは撤退してる模様。
はなやま玩具「ウルテク3名人くん」…知恵の輪で有名な会社。現役。
ダイトー「ファミリースティック」…初期にコントローラを出したっきり消えた。不明。
シャープ、福武書店、その他周辺機器を出した会社…省略。
番外編1 裏ソフトメーカー
ハッカーインターナショナル…非公認ソフトをつくり続けた会社。ファミコン後、マップジャパンとしてPS等で活動するも2001年、活動休止宣言。事実上の撤退。社長は河口恭吾をデビューさせたことで有名。
セゾン「雑学オリンピック」…代表作はPCからの移植。ハッカーに次ぐ裏メーカーだった。セゾンカードとは何の関係もないだろう。不明。
キネマミュージック「メタルファイターμ」…非公認ROMを1本だけだして忽然と消えていった会社。不明。
MIMI PRO、インディーズソフト、フェニックス、スーパーピッグ、その他…それぞれファミコン裏系ソフトの開発メーカー。いずれも不明。
・番外編2 幻のファミコンメーカー
ザインソフト「トリトーン(発売中止)」…1984年、兵庫に設立。PCゲームソフトメーカーとして伝説的な会社らしい。倒産。
アクレイムジャパン「BIG FOOT(発売中止)」…米国はアクレイムというメーカーの日本支社。メガドライブで「マキシマムカーネイジ」という伝説的ゲームを出したことで有名。97年、日本から撤退。本家はまだ健在。名前が似てるがアイレムとは無関係。
ミサワエンターテイメント「アダムス・ファミリー (発売中止)」… 93年ごろまで健在だった会社。代表作はファミコンでは中止だったけど、それぞれスーファミとゲームボーイで出た。今では不明。
やっと終わったか。漏れたメーカーとか無いだろうな・・・あるだろうね。開発メーカーまで含めるとまだまだあると思う。でも終了。数年前に調べてまとめておいた資料を参考にするつもりが、結局はまた色々調べるハメになって思ったより大変な作業だった。こうなったら改めてまとめページを1コーナーとして作ってみるか?
あのファミコンメーカーは今!? その9
前回は後半が不明って文字のみのオンパレードでちと反省。今回は不明なりにも努力はしたつもりだ。
M&M「おたくの星座」…唯一出したソフト(詳細はこちら)の箱に、江口寿史/寿スタジオ、本宮ひろ志/M&Mと併記してあり(寿スタジオは江口氏の事務所なので)M&Mは本宮氏と関係がある会社だと思われる。さらに所在地が「千葉県(略)本宮ビル」とあり、本宮氏は千葉県出身だ。あまつさえ本宮氏のイニシャルは・・・もはや疑いようも無いが現在は不明
スコーピオンソフト「タロット占い」…ディスクでソフトをたくさん出す予定がことごとく実現しなかったことで有名な会社。不明。
イーストキューブ「リフレクトワールド」…東峰通商という会社のEC事業部のことらしい。MSXなどでソフトを出していた。不明。
ピクセル「影狼伝説」…ファミコンでROMカセットを出したメーカーの中でもっともマイナーの部類に入ると思われる会社。まったく不明。
GO1「THE GOLF '92」…大阪の会社。不明。
DOG「とびだせ大作戦」…ディスクオリジナルグループの略。1986年、結成。スクウェアを筆頭にマイクロキャビン、システムサコム、ハミングバード、シンキングラビット、キャリーラボ、XTALSOFTが名を連ねた。解散。
マイクロキャビン「亜空戦記ライジン(発売はDOC)」…今も現役のPCゲーム会社。
システムサコム「クレオパトラの魔宝(発売はDOC)」…1981年設立。元々PC周辺機器メーカーで、今も健在だがゲーム事業からは撤退している模様。もとのPC周辺機器メーカーとして健在。
ハミングバード「ディープダンジョン(発売はDOC)」…1982年設立、もともと不動産屋だったらしい。倒産か。
シンキングラビット「磁界少年メットマグ(発売はDOC)」…1983年、名作パズルゲーム「倉庫番」を世に出すために設立された会社。しかしどんな事情なのかファミコン版の発売はアスキー。そして現在、倉庫番の著作権はファルコンという会社が持っている。したがって活動休止状態か。不明。
キャリーラボ「ハオ君の不思議な旅(発売はDOC)」…1981年、設立したPCゲーム会社。現在は不明。
クリスタルソフト「カリーンの剣(発売はDOC)」…XTALSOFTと表記。1982年設立のPCゲーム会社。不明。
正直調べてみて初めて名前を知ったメーカーもあったりした。今まで販売メーカーだけに目を奪われていたが、開発メーカーまでたどっていくのは面白い。いよいよ次回が最終回か!?
M&M「おたくの星座」…唯一出したソフト(詳細はこちら)の箱に、江口寿史/寿スタジオ、本宮ひろ志/M&Mと併記してあり(寿スタジオは江口氏の事務所なので)M&Mは本宮氏と関係がある会社だと思われる。さらに所在地が「千葉県(略)本宮ビル」とあり、本宮氏は千葉県出身だ。あまつさえ本宮氏のイニシャルは・・・もはや疑いようも無いが現在は不明
スコーピオンソフト「タロット占い」…ディスクでソフトをたくさん出す予定がことごとく実現しなかったことで有名な会社。不明。
イーストキューブ「リフレクトワールド」…東峰通商という会社のEC事業部のことらしい。MSXなどでソフトを出していた。不明。
ピクセル「影狼伝説」…ファミコンでROMカセットを出したメーカーの中でもっともマイナーの部類に入ると思われる会社。まったく不明。
GO1「THE GOLF '92」…大阪の会社。不明。
DOG「とびだせ大作戦」…ディスクオリジナルグループの略。1986年、結成。スクウェアを筆頭にマイクロキャビン、システムサコム、ハミングバード、シンキングラビット、キャリーラボ、XTALSOFTが名を連ねた。解散。
マイクロキャビン「亜空戦記ライジン(発売はDOC)」…今も現役のPCゲーム会社。
システムサコム「クレオパトラの魔宝(発売はDOC)」…1981年設立。元々PC周辺機器メーカーで、今も健在だがゲーム事業からは撤退している模様。もとのPC周辺機器メーカーとして健在。
ハミングバード「ディープダンジョン(発売はDOC)」…1982年設立、もともと不動産屋だったらしい。倒産か。
シンキングラビット「磁界少年メットマグ(発売はDOC)」…1983年、名作パズルゲーム「倉庫番」を世に出すために設立された会社。しかしどんな事情なのかファミコン版の発売はアスキー。そして現在、倉庫番の著作権はファルコンという会社が持っている。したがって活動休止状態か。不明。
キャリーラボ「ハオ君の不思議な旅(発売はDOC)」…1981年、設立したPCゲーム会社。現在は不明。
クリスタルソフト「カリーンの剣(発売はDOC)」…XTALSOFTと表記。1982年設立のPCゲーム会社。不明。
正直調べてみて初めて名前を知ったメーカーもあったりした。今まで販売メーカーだけに目を奪われていたが、開発メーカーまでたどっていくのは面白い。いよいよ次回が最終回か!?
あのファミコンメーカーは今!? その8
アスミック「アズミッくんランド」…1985年設立。1998年にエースピクチャーズという会社と合併しアスミック・エース・エンタテイメント株式会社となった。まあアスミックって名前も残ってることだし現役ということで。
エンジェル…ビーアイと共にメガハウスに吸収された。バンダイ系列。ゲーム事業からは撤退した様子。
バリエ(科研)…元科研。1997年に(株)レイアップに吸収された。撤退。
ビスコ「ダッシュ野郎」…1983年8月設立。ホームページの過去作品リストの中にはファミコン作品は黒歴史になってるようだが、ロゴが同じなのでたぶん同一会社だろう。2002年を最後にゲーム事業から撤退か?
ココナッツジャパンエンターテインメント「パチ夫くんシリーズ」…2000年を最後にゲーム事業から撤退。倒産した可能性大。今は飲食系の商売をしているという噂も。
タケル「ココロン」…シュールドウェーブという名でメガドライブ等にゲームを出したり、周辺機器を出していたが、倒産した。
ハイスコア「ゾンビハンター」…会社と同名の雑誌を出していた。エニックスに無断でドラクエのボスを載せてしまい、裁判沙汰になった話はあまりにも有名。たぶん倒産。
ユース「ホッターマンの地底探検」…不明。
インダクションプロデュース 「'89電脳九星占い」「白い鷹(発売中止)」…不明。
ヒロ「キョロちゃんワールド」…不明。
TSS「スーパーラグビー」…不明。
A-WAVE「アストロファング」…不明。
IGS「アルマジロ」…不明。不明。
エンジェル…ビーアイと共にメガハウスに吸収された。バンダイ系列。ゲーム事業からは撤退した様子。
バリエ(科研)…元科研。1997年に(株)レイアップに吸収された。撤退。
ビスコ「ダッシュ野郎」…1983年8月設立。ホームページの過去作品リストの中にはファミコン作品は黒歴史になってるようだが、ロゴが同じなのでたぶん同一会社だろう。2002年を最後にゲーム事業から撤退か?
ココナッツジャパンエンターテインメント「パチ夫くんシリーズ」…2000年を最後にゲーム事業から撤退。倒産した可能性大。今は飲食系の商売をしているという噂も。
タケル「ココロン」…シュールドウェーブという名でメガドライブ等にゲームを出したり、周辺機器を出していたが、倒産した。
ハイスコア「ゾンビハンター」…会社と同名の雑誌を出していた。エニックスに無断でドラクエのボスを載せてしまい、裁判沙汰になった話はあまりにも有名。たぶん倒産。
ユース「ホッターマンの地底探検」…不明。
インダクションプロデュース 「'89電脳九星占い」「白い鷹(発売中止)」…不明。
ヒロ「キョロちゃんワールド」…不明。
TSS「スーパーラグビー」…不明。
A-WAVE「アストロファング」…不明。
IGS「アルマジロ」…不明。不明。
あのファミコンメーカーは今!? その7
アルトロン「トムとジェリー」…1983年設立。ここ数年でさらに厳しくなったゲーム業界で、海外進出を成功させて生き残った(社長談)。今もたくましく現役。
ナツメ「カオスワールド」…87年設立。ロゴが変わってるし、ホームページにもファミコンのことは一切、書かれてないがたぶん現役。すごいぞナツメ!
HOT-B「星をみるひと」…GA夢はここのレーベル名。1988年、米国カリフォルニアで設立。バス釣りゲームを得意としていたため、HOT-BのBはバスのBだする説と、ビートルズのBだとする説がある。2005年8月、タイトーのラクガキ王国をアメリカで販売して以来、動きはない。日本からは撤退しているものと思われるが、スターフィッシュという会社にすりかわったという説も有力である。
メルダック「暴れん坊天狗」…もともとレコード会社だったが、それも後に徳間ジャパンコミュニケーションズへ譲渡。撤退。
ケイ・アミューズメントリース「怒シリーズ」「甲子園」…1993年、スーファミのソフトを出して以来不明。過去になぜか裁判沙汰になっていた。たぶん倒産。
フェイス「千代の富士の大銀杏」…1997年マネーアイドルエクスチェンジャーというゲームを開発して1998年倒産。
アイマックス「ファミコン囲碁入門」…1998年倒産。
ヒューマン「エジプト」→1983年創業。1990年、世界初のゲーム学校を設立。1998年、事業に失敗。2002年1月倒産。なお、現在あるヒューマンアカデミーとは無関係。
トーワチキ「アイドル八犬伝」…元々はトランシーバーのメーカーだった?代表作はナツメとの共同開発。2001年、倒産。
東亜プラン「スノーブラザーズ」… 1979年設立?タイトーを中心に他メーカーの下請けとしてふんばっていたが1994年倒産。
デービーソフト「フラッピー」…1980年5月設立。別ブランド名で出したエロゲーやPCソフトで数々の問題を起こし、2003年以降、事業停止状態。撤退。
ヘクト「囲碁指南シリーズ」…HectともHectorとも表記した謎の会社。ファミコン時代は光栄とはまた違った路線の渋いソフトをたくさん出していたが。倒産してる模様。
UPL「忍者くん阿修羅ノ章」…ユニバーサルプレイランドとして創業。1992年、倒産。
キャラクターソフト「サンリオカーニバル」・・・ファミコン後期にサンリオ系のキャラクターのソフトを多数出していた会社。このおざなりな名前からしてサンリオのキャラクターゲームを出すために作られた会社だと睨んでたけど、サンリオの子会社であることが判明。(ウィキペディア「任天堂発売のゲームタイトル一覧」より)たぶん今は撤退だろう。
ソフトプロ「カラテカ」・・・まったく。不明。 こんなページ見つけたけど、どうなんだろう。
そろそろ不明なところも多くなってきたが、何より現役でがんばってる会社が2つもあって嬉しい。次回はどうなってしまうのか!
ナツメ「カオスワールド」…87年設立。ロゴが変わってるし、ホームページにもファミコンのことは一切、書かれてないがたぶん現役。すごいぞナツメ!
HOT-B「星をみるひと」…GA夢はここのレーベル名。1988年、米国カリフォルニアで設立。バス釣りゲームを得意としていたため、HOT-BのBはバスのBだする説と、ビートルズのBだとする説がある。2005年8月、タイトーのラクガキ王国をアメリカで販売して以来、動きはない。日本からは撤退しているものと思われるが、スターフィッシュという会社にすりかわったという説も有力である。
メルダック「暴れん坊天狗」…もともとレコード会社だったが、それも後に徳間ジャパンコミュニケーションズへ譲渡。撤退。
ケイ・アミューズメントリース「怒シリーズ」「甲子園」…1993年、スーファミのソフトを出して以来不明。過去になぜか裁判沙汰になっていた。たぶん倒産。
フェイス「千代の富士の大銀杏」…1997年マネーアイドルエクスチェンジャーというゲームを開発して1998年倒産。
アイマックス「ファミコン囲碁入門」…1998年倒産。
ヒューマン「エジプト」→1983年創業。1990年、世界初のゲーム学校を設立。1998年、事業に失敗。2002年1月倒産。なお、現在あるヒューマンアカデミーとは無関係。
トーワチキ「アイドル八犬伝」…元々はトランシーバーのメーカーだった?代表作はナツメとの共同開発。2001年、倒産。
東亜プラン「スノーブラザーズ」… 1979年設立?タイトーを中心に他メーカーの下請けとしてふんばっていたが1994年倒産。
デービーソフト「フラッピー」…1980年5月設立。別ブランド名で出したエロゲーやPCソフトで数々の問題を起こし、2003年以降、事業停止状態。撤退。
ヘクト「囲碁指南シリーズ」…HectともHectorとも表記した謎の会社。ファミコン時代は光栄とはまた違った路線の渋いソフトをたくさん出していたが。倒産してる模様。
UPL「忍者くん阿修羅ノ章」…ユニバーサルプレイランドとして創業。1992年、倒産。
キャラクターソフト「サンリオカーニバル」・・・ファミコン後期にサンリオ系のキャラクターのソフトを多数出していた会社。このおざなりな名前からしてサンリオのキャラクターゲームを出すために作られた会社だと睨んでたけど、サンリオの子会社であることが判明。(ウィキペディア「任天堂発売のゲームタイトル一覧」より)たぶん今は撤退だろう。
ソフトプロ「カラテカ」・・・まったく。不明。 こんなページ見つけたけど、どうなんだろう。
そろそろ不明なところも多くなってきたが、何より現役でがんばってる会社が2つもあって嬉しい。次回はどうなってしまうのか!






