なぜ僕はファミコンを集めるのか(5) スーファミ買ってくれないから!


<ごく普通のファミコン少年>

「だーれだ?」(口を開け、両手を広げながら)
「うーん、リカント?」
「ぶっぶー、リカントマムルでしたー」

 小学校のとき、いつも友達とやっていたドラクエの敵ものまねクイズです。
 色違いなんて、わかるか!(笑)

 僕はごく普通のファミコン少年でした。毎週ファミマガを読んでウル技を投稿したり(採用されたことはなかったが)、地元へやってきたハドソンのキャラバンに参加したりもしました。

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※オロチファミコン部屋。今のところ雑然と収めてるだけなので(とくに右の方の棚)、いつかは魅せる陳列したいなあ。

 当時、ピアノを習っていた僕は、音楽の授業が始まる前に、耳コピしたドラクエの曲をオルガンで弾きまくって、ちょっとしたヒーローでしたね(いたよね、そういうやつ)。ただ、僕はまだ最後まで行ってなかったのでエンディングの曲だけは知らなかったのです。すると親切な友達がエンディングの曲をカセットテープに録音してくれたんだけど、それがなぜかそいつの鼻歌!(笑)

 いや、嬉しかったけどさ……
 なぜテレビの音をそのまま録音しなかった!




<正確にいうと僕はレトロゲーマーじゃない?>
 
 中学生になると『三国志』では公孫瓚で全国統一を目指したり、『不如帰』では雑賀孫一を使ったりと、突然シミュレーション少年に目覚めました。『ジンギスカン』ではオルドにドキドキしたりしてね(笑)
 教室のうしろの黒板に毎朝、「賈詡曰く、○○○」とか、三國志に出てくる軍師のセリフを書き込んでいたのは僕です(笑) 

 高校生になると、狂ったように任天堂初期『サッカー』をやってました(そりゃモテねえわ)。おそらく日本で唯一の攻略サイトをつくっちゃうくらい夢中になりましたね(笑) でもどっちかというとゲーセンばっか行ってたかな。世は格闘ゲーム全盛期でした。

 大学生のとき思い切ってプレステを買ったけど、3日後に友達に売ってしまいました。原因はポリゴン酔いです(笑) それからは毎日にように、友達とファミコン三昧。いつの間にかファミコンを集めていたのは前述(2)の通りです。

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 ※大学生のときに付けていた「テクモワールドカップサッカー」の勝敗表が出てきたのでアップします。97年って文字が見えるから今から19年前かあ。バカだったなあ(笑)

 ものすごい大ざっぱに振り返ってみたけど……
 僕の人生は、まんべんなくファミコンしてましたね。

 あえて正確に言うなら僕は“レトロゲーマー”じゃないのかもしれません。ただ“ずっとファミコンやってるだけの人間”なんですよ。気づいたらレトロゲーマーと呼ばれていたってパターン。最近では息子といっしょに楽しんでるし。「いまだにファミコンやってるんですか」本当によく聞かれます。僕は決まってこう応えてるんですよ。「だって、まだ親がスーパーファミコンを買ってくれないから」って(笑) 

 これ、もちろん冗談です。
 でも、本当のことだから困っちゃう。




<ゲームは娯楽なのか文化なのか>

 つまり僕はファミコンに固執してるわけじゃなく、自分でも呆れるほど飽きないだけなんですよ。いつかはスーパーファミコンって本気で思ってます。しかし現実問題として、僕みたいなやつはメーカー側にしたら迷惑な存在ですよね。※1

 でも、そろそろ、そういう時期なんじゃないんですか?


 ※1 レトロゲームコレクターの中には現行のゲームも買っている方が大勢います。むしろファミコンで止まってる僕みたいなやつのほうが珍しいかも。まあ、そんな僕も息子にはWii Uとか買ってあげてるんですけどね。

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 ※オロチファミコン部屋のぶら下げられるものは、何でもぶら下げちゃえコーナー。

 車にもクラシックカーというたしなみがあるように、ゲームにもレトロゲームってたしなみがあってもいいじゃないですか。「あいつらは古い車ばっかり買って、自動車業界にちっとも貢献しない」なんて意見、聞いたことないですよ。なぜなら、彼らは自動車という素晴らしい文化を敬いその歴史を大切にするという形で、貢献しているからだと思います。(普通に市場もあるし)

 そう考えると、ゲームだって素晴らしい文化です。レトロゲームだって、たしなみのひとつになりかけてる。きっと今は過渡期なんです。業界寄りの方ほど「ゲームなんてしょせん娯楽だ」と切り捨てる傾向が強いですが、それは娯楽として、じゃんじゃん消費してくれなきゃ商売にならないという事情があるからでしょう。
 でもだからと言って、我々のような享受する側がそれに倣う必要があるでしょうか。もちろん創造する側の方々へのリスペクトは忘れません。しかし相容れないところは相容れないで別にいいと思います。どんなジャンルだって、様々な立場から愛され、守られ、育まれることで、立派な文化へと醸成されていくはずなのですから!

 というような暑苦しい話はこのへんで、やめておきましょう(笑) 

 正直言って、文化なのか娯楽なのかって話はあまり重要じゃありません。僕が言いたいことは、このように、5章にわたって述べてきた通り、レトロゲームコレクターを取り巻く状況は大きく変わっているって話であり、そんな今だからこそ、我々の気持ちも変わらなくちゃいけないって話をしたかったんです。





<そして再開されたファミコン集め>

 ときは2015年――
 僕は仕事が落ち着いてきたということもあり、ファミコン集めを再開していました。劇的なきっかけは、とくになかったのですが、ただ、嬉しいことがありました。

 このころから僕は他のレトロゲームコレクターや愛好家の方たちと交流をするようになったのです。まあ、交流といってもツイッターを通じてちょっとやりとりする程度なんですが、コミュニケーション能力がほぼ0だったので(今もあまり変わりませんが)、ずっとたった一人でファミコンを集めてきた僕にとっては、それだけでも大きな変化でした。

 とくに、僕と同じような時期にファミコンを集め始め、手探り状態で活動をしてきた(昔から名前は知っていたけど交流がなかった)コレクターの方たちと、やりとりができたときは、まるで数十年ぶりに戦友と出会ったようなカタルシスがありましたね。

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※オロチファミコン部屋の書籍・雑誌コーナー。雑誌の重みで棚が曲がってしまうのが悩みです(笑)

 そして2016年――
 相も変わらず、精力的に未知の領域へと挑んでいる彼らの姿は、僕にとって大きな刺激となっているのは間違いありません。

 最初は何も知らなかった……
 お金もなく、車と情熱とヒマしかなかった。
 そのかわり、毎日が大発見だったあの時代。
 僕を突き動かしていたのは……
 一点の曇りもない知的好奇心だった。
 やがてプレミアソフトに夢を見て、
 未知の領域を切り拓く先人たちに憧れた。
 とにかく皆の期待に応えたかった。
 ライバルの出現に焦った。
 空回りした……
 
 いろいろあったけど、今はもう全部受け入れて行けばいいんじゃないかって思ってます。知らないことがあったって恥じることないし、焦ったっていい。空回りしたっていいじゃないか。その都度、反省して、勉強させてもらって、どんどん前に進んで行くしか無いんじゃないかって思うようになりました。

 ということで、なぜ僕はファミコンを集めるのか……
 最終的なその答えは“理由なんて要らない。とにかく前に進もう!”です。
 結局、何も変わってない(笑)


 (完)

<なぜ僕はファミコンを集めるのかシリーズ>
(1) レトロゲームは安い趣味だった!
(2) 車と情熱とヒマだけはあった!
(3) 夢の存在、憧れの存在! 
(4) 皆の期待に応えたかった!
(5) スーファミ買ってくれないから!

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