オロチのファミコン収集記 7


 ときはファミコン再評価時代。プレステとサターンの全面戦争が勃発していた時期だった。僕は県内のお店を周り尽くしており、名古屋市内にはちらほらとレア物にプレミア価格をつける店が現れていた。メタルスレーダーグローリー5万円!衝撃的な光景だ。何も知らない僕はこれが最後の砦になるだろうと思っていた。
 そのころから僕は頻繁にファミコン遠征ツアーに出かけるようなった。行き当たりばったりの車旅である。とりあえず助手席に眠りかけた友達を乗せ、夜中ひたすら23号線を西に向かった。友達が朝起きると伊勢神宮だったりするわけだ。
 1号線をひたすら東に向かい、朝起きたら富士山のふもとだったこともあるし、左手に海を眺めながらどこまで行けるかってやつをやって、岡山まで行ったこともあった。とにかくバカみたいだけど楽しいツアーだった。もちろんお目当ては田舎の玩具屋に眠るファミコンなんだけど。

 厄介なのが「ファミコン」という看板だ。その頃ファミコンといえば家庭用ゲーム機の代名詞だったもんだから、スーファミならともかく、プレステだろうがサターンだろうが、全部ひっくるめてファミコンと呼ばれていたのだ。大迷惑な話である。
 たとえば大通りの反対側にファミコンの看板をかかげた店を見つけ、必死こいてUターンかまし、行ってみればスーファミしかなかったり、ひどい場合はスーファミすら扱ってなかったりした。JAROに電話したろかって話だ。 貧乏学生の車旅である。夜は車内で寝た。1日をフランスパン1本でやり過ごした。ガソリン代返せという話だ。

 そんななかでも静岡県磐田市の玩具屋は忘れられない。その日はG君という奴と往復600キロの遠征だった。その店は本当に古き良き昭和の玩具屋って感じで、床はむき出しのコンクリート、木の枠のショーケースが所せましと並んでおり、子供が数人、店内のちょっとした遊戯スペースで遊んでいる。本当に懐かしい場所だった。
 
 ふと見るとカウンターのうしろの棚上に、ホコリをかぶったハンドルコントローラ。そしてドレミッコ、さらに奥にハイパーショット(バンダイ)が隠れているではないか。感動した。ファミマガ等で存在は確認していたけど、実際に見たのは初めてだった。しかも3つ同時だ。新品デッドストックだ!

 しかし神様はとんでもない試練を僕に与えたのだった・・・
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