ファミコンコレクターが「レトロゲーム愛」を考えたらジョン・レノンの言葉にたどりついてみた


◆つぎ込んだ金額=愛?◆

 今までファミコンにいくらつぎ込みましたか?

 テレビ・雑誌の取材を受けると必ずこのような質問をされます。私の場合、8割くらいはファミコンが捨て値のときにGetしているため、そんなに大した額にはなりません。したがって正直に答えると、いつもビミョウな反応をされてしまいます。なぜなら世間はコレクションへつぎ込んだ金額でしか我々の愛の深さを測ってくれないからです……

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 ※奥のほうが新しくつくった棚です

 しかしながら「レトロゲーム愛」を計る物差しはひとつではないはずです。少なくとも私は「今までつぎ込んだお金の量=愛」とは思わないし、ましてや「物量=愛」とも思っておりません。かといって「プレイした時間=愛」とも思いませんけどね、、、

 じゃあ、何なんだって話を少しさせて頂きましょう。

 

◆Love is wanting to be loved◆

 先日、任天堂が海外の老舗・違法ROMサイトへ次々と損害賠償請求を行ったというニュースが駆け巡りました。なんとも印象的だったのは、閉鎖に追い込まれたサイトの管理人たちが口々に「レトロゲーム愛」を叫んでいたことです。



 なるほど。彼らの情熱はたしかに尋常ではありません。膨大な数のレトロゲームのROMデータを、数十年にも渡って配布・管理してきたなんてことは、それはそれは想像を絶する労力を費やしたかと思います。

 すべては世のため、ひとのため。失われつつあるレトロゲームの保管・保存という大義名分を掲げ、レトロゲーム愛だけをモチベーションにがんばってきたことでしょう。しかし彼らには致命的なまでに喪失している視点があるように思うのです。

 それは、かの偉大なるミュージシャン、ジョン・レノンの曲「LOVE」の一節です。


愛とは愛されたいと思うこと
Love is wanting to be loved

 私は恥ずかしながら若かりしころ、この言葉と出会って初めて「愛とは一方的に与えるものではない」ということを知りました()。相手の気持ちを何も考えず、ただただ己の欲求を満たすためだけに、ひたすら愛を叫んでいる人間のことを世間では何と言うかご存知でしょうか?

 ストーカーと言うのですよ、、、



◆レトロゲームの気持ち◆

 したがって、ジョン・レノンの言葉を借りるならば「レトロゲーム愛=レトロゲームに愛されたいと思うこと」なのでしょう。愛されたいだなんて図々しいと思うなら「喜んでもらいたい」くらいでもOKだと思います。相手が生物であろうが無生物であろうが、敬意を払い、尊厳を守り、相手の気持ちになって考えてみたら、なんだか私にはしっくり来たのです。



 コレクターは聖人でも何でもありません。むしろ物欲のモンスターです。己の知的好奇心・承認欲求・整理欲を満たすため自制心をどこかへ置き去りにしたまま大人になってしまった俗も俗、、、

 しかしながら、そんな私でも借金をしてまでレトロゲームが欲しいなんて思ったことはありませんでした。転売目的の買占めなどもしたこともありません。無節操にゲームを買いまくり積み上げすぎて雪崩が起きたこともありません。別にそんなことやりたいひとは勝手にやればいいと思います。私はやならい。それだけの話。

 では、なぜ私はやりたくないのでしょうか。
 答えは簡単でした……

 もし私がファミコンだったらそんな持ち主は嫌だからです。
 
 私は私の理想の人間になって少しでもファミコンに喜んでもらいたいのです。まだまだ程遠いですが努力を惜しむつもりはありません。万が一、何かの拍子でファミコンが擬人化して喋れるようになったとき「あなたが持ち主で良かった」と言ってもらえるように……



orotima-ku1.pngみたいな。



 ※ジョンが「LOVE」で訴えたかったテーマはどちらかというと「平等」らしいが、少なくとも私はそう解釈したのだった。ちなみに、いちおう断っておくとオロチはビートルズ世代ではないよ。

「ゲームは有意義か」周りのやりとりで気になること 他


<話題>
ゲームが趣味の人ってさ-はてなダイアリー

 発言者は、絵を集めるだけのソシャゲ、スコアを更新し続けるだけの音ゲー&STGを苦行のようだと批判。ゲームは「時間の無駄」と切り捨て、プログラムを学んだりバンド組んだりしたほうがよっぽど有意義だと主張する。

 それに対して「ゲームは楽しい。それだけで価値がある」というような反論が支持を集めているようだ。おそらく両者は永遠に平行線だろうが、それはいつものことだと思う。それよりも私が気になったのは、このようなアンチゲーム発言があったとき「友達がいっぱいできた」「ゲーム会社へ就職できた」というようなプラスの利点ばかりを声高に叫ぶ風潮があることだ。私に言わせれば、このような意見をもっているひとはこの発言者と同じ穴のムジナである。なぜならそれは裏を返せば、そうやって形あるものを成さなければ、わかりやすくプラスになるものを生まなければ、結局はゲームなど時間の無駄だと言ってるも同然だからだ。違うだろう。少なくとも私にとってゲームというのはそんな打算的な存在ではない。

 おそらく、彼らの意見の根底には「有意義=プラスになること」という先入観が横たわっているのだろう。しかし有意義なことっていうのは、なにもプラスになる行為とは限らない。たとえゲームをやるという行為が生産性0に見えたとしても、それはマイナス状態を0に戻している途中かもしれない。彼らにはこの「マイナス状態を0に戻す」という視点がすっぽり抜け落ちているように思うのだ。ゲームは体験だ。言うなればゲームは心のマッサージである。コリコリに凝り固まった心の筋肉を優しくほぐしてくれる。ゲームは精神のとんぼがけである。仕事や家庭など社会生活で凸凹になった精神のバランスを整えてくれる。ゲームは魂の解放である。嫌なこと、つらいこと、何もかも忘れさせてくれる。それらの行為は生産性0かもしれないけど、生きる力をくれるじゃないか、、、

 もちろんすべてのゲーマーがそのような目的でゲームをしているとは思わない。私とてそうだ。ゲームをする目的はそのときの精神状態やプレイ環境で様々である。しかし、少なくともそのような視点を手に入れた私からは迷いが消えていた。コントローラを握る手に尊厳があふれていた。大げさに言えばゲームは私にとって生きることへの肯定だ。ただし、ゲームとして完璧すぎるゲームは現実拒絶レベルが高すぎる点が厄介である。ときにのめりこみ過ぎて嫁さんの反感を買ってしまう(笑)

 したがって、まずはゲームをやる前に、洗濯物を畳んだり、食器を洗ったりすることをお勧めしたい。結局は現実があってこそなのだから。詳しくは「この記事」を読んでね!


<ニュース>
『ドラクエ7』キーファをレベル99へ。600時間を費やした挑戦は、好きだった配信者の無念を受け継いで始まった | 電ファミ
 度々、このようなやりこみゲーマーが話題になってるね。何かいい呼び名はないかな。ヤリコミスト。ヤリコマー。ヤリコ民。うーん、やりこみゲーマーでいいや。

カートリッジでゲームプレイ ニンテンドークラシックミニの周辺機器 CLASSIC 2 MAGIC

セガ公認のメガドライブ・セガサターン復刻コントローラーが11月に海外で発売へ。実機やPCで使用可能、Bluetooth接続タイプも | AUTOMATON

悪名高き違法ROM配布サイトが、またしても任天堂の賠償請求事件を引き金に機能停止。管理人は”レトロゲームの収益化”による影響を指摘 | AUTOMATON
 前回のニュースのときもそうだったけど、海外の違法ROM業者は「レトロゲームを愛している」だの「保存活動」だの、なんでこんなに太太しいことが言えるのかな。控えめに言って頭がおかしい。そういえば太太しさだったら日本にも某オクで活躍中の老舗・違法コピー屋さんがいたっけな、、、

<書籍>
ゲームと共に歩み続けた「高橋名人」の35年。小型トラック3台分のバレンタインチョコはまるでアイドル!? | ダ・ヴィンチニュース
(153)高橋名人のゲーム35年史 (ポプラ新書)
高橋名人
ポプラ社
売り上げランキング: 5,039


<twitter>
SFCくにおくんシリーズの「レプリカパッケージ」届いたら英語版だった-twitter
 マジすか!?


<オークション>
ファミコピア用カセット 9本 FC-1 ロボカセ君 ファンテック 動作未確認 ジャンク(その他)|売買されたオークション情報、yahooの商品情報をアーカイブ公開 - オークファン(aucfan.com)
famikiopianamakasetto.jpg



orotima-ku1.pngちなみにオロチはゲーム作ってたし
バンドもやってたよ(それがどうした)


思い出補正は特権ではありません。“呪い”です。


◆安易さに戦慄◆

 いつものようにファミコン情報収集プログラム(手動)を走らせていたら、気になる一節を見つけました。こちら↓

アラが見えやすい大画面でNEOGEOをプレイしていても、いまだ「100メガショック」を味わえるのは、思い出補正を備えた’90年代ゲーマーならではの特権かもしれませんね。
 ※引用:ゲーム&ホビー:NEOGEO miniの「携帯ゲーム機」、「据え置きゲーム機」としての真価を堪能してみた(GetNavi web) - 毎日新聞


 なぬーっ!?
 思い出補正が特権だと!?

 私はこの「思い出補正」って言葉を見かけると無性にモヤモヤしてしまう質なのですが、特権とまで言い切ってる文章は初めて拝見しました。なんだか眩暈がします。3年くらい前にも同じようなことを記事にしました。改めて考えてみるとやっぱり思い出補正っていう言葉の「正」っていう字が元凶な気がしますね。

「思い出補正」って言葉が釈然としない理由(2015/07/18)

 この言葉を自身へ向けて使いたがるひとたちは、気を使っているつもりなのか、予防線を張っているつもりなのか知りませんが、たぶん、どこか天国みたいなところに絶対的に正しいゲーム評価が存在すると信じ込んでいるに違いありません。自分の中の評価がそれより少しでもズレてると思ったら「補正」という言葉で安易に片づけてしまう傾向があるように思います。私はその安易さに戦慄をおぼえるのです。



◆もはや強迫観念◆

 周囲の声?
 売り上げチャート?
 Amazonの星の数?
 市場のプレミア価値?
 ゲームカタログ@wikiの評価?

 世間やWEBの評価が気になる気持ちはわかりますよ。でも、面白いかどうかは結局、自分が感じるしかないのです。それなのに自分自身で下したはずの評価を「補正」と表現してしまう心理の底には一体どんな呪いが沈んでいるのでしょう。補正ってことは本当は自分の評価は正しくないって、思ってるってことですよね。プレイする前ならまだしも実際にプレイしたあとでも、そう思ってしまうんですよね。もはや強迫観念じゃないですか。

 今、現在、実際にプレイして面白いと感じているのにかかわらず、自らそれを認めることができず、ありもしない絶対的評価基準をでっち上げてまで、自分の評価は粉飾なんだ、不正なんだと懺悔しなければならないなんて、ファミコン・スーファミ世代はいったいどんな十字架を背負って生まれてきたと言うのでしょうか。

 まるで「昔のゲームが面白かったこと=原罪」とでも言わんばかりの風潮に、私は首をかしげざるを得ないのです。

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 元来「思い出補正」というのは、懐古趣味の人間を煽るときに使われる言葉だったと聞きます。つまり他者を貶める呪いの言葉なんですよ。一方、日本人は自分のことを「拙者」と言ったり「僕」と言ったり、へりくだった表現を好んで来ましたよね。贈り物をするときの「つまらないものですが」などは最たる例だと思います。そう考えると思い出補正って言葉も「つまらない評価ですがご一読ください」という日本人特有のへりくだった“粋な表現”のつもりなのかもしれません。大変おめでたいことです。



◆貶めているのは誰か◆

 しかし断言しましょう。あなたが面白いと思ったならば、それは「面白い」以外何物でもないということを。ただし、その面白さを勝手に「正しくない」と判断しないでください。なぜなら、その行為は対象のゲームをいたずらに貶めることになるからです。何度も申し上げます。ゲームの評価に「正しい」とか「正しくない」なんていう絶対的基準など存在しません。

 したがって我々は最初から十字架なんか背負ってない。
 呪われてなんかいないのです。

NEOGEO mini 対戦格闘ゲーム攻略ガイド

 そろそろ嫁さんに、電源ケーブルを隠されてもおかしくない私が言うのだから間違いありません。NEOGEOminiは面白い。超面白い。それでいいじゃない。

 あー、実機でそろえたい!(笑)



orotima-ku1.pngあんたは違う意味で呪われてるよ

意外と答えられない「なぜゲームには統一規格ができないのか」という問いについて


 今回はお蔵入り記事の救済企画!
 5年くらい前の書きかけのエントリーを発見したので、再編集してみよう。

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 なお、本稿においてただ単に「ゲーム」といった場合、家庭用テレビゲーム機、及びそのソフトのことを指すこととする。スマホやPCを含めるかどうかは、あえて読み手の皆さんへ委ねよう。


◆意外と答えられない質問◆

 Yahoo!知恵袋を散策していたら、
 普段ならスルーしていたような質問に目が止まった。

ゲーム好きな人間の単純な疑問なんですが、どうして「ゲーム機」という統一規格は出来ないんでしょう?
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 質問者はCDやDVDを引き合いに出し、「なぜゲームには統一規格ができないのか」と問うていたのだ。たしかにCDやDVDはどこのメーカーの機器でも再生できるが、ゲームの場合はあれだろう、つまり、えーと……

 意外と答えられなかったりする(笑)


 そこで、過去に似たような質問で、どのような回答があったのか。まとめてみたよ。



【回答1:「自由競争」経済の宿命】

 まずはこれ。おそらく誰もが思いつく理由であろう。

 規格の主導権争いが起こるから

 それは「誰が元締めになるか」で必ず争いが起こるからだ。多くの国の経済が「自由競争」に基づいて成り立っている限り、このような争いは宿命的である。

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 ※任天堂ファミコン工場の様子「社会科 はこばれてくるしくみシリーズ-11 ファミコンゲームの主役たち」(PHP研究所)より

 例えばファミコンの場合、(一部を除く)参入メーカーはゲームをつくったら任天堂へROM生産を委託しなければならなかった。しかもそのための初期費用(数億円規模)は前払いだったという鬼条件。任天堂は、他メーカーからあがってくるゲームを検閲し、自前工場へ流すだけで大金が舞い込んでくる仕組みをつくったのだ。

 しかしそのような牙城もいつか崩れるもの。残念ながら覇権争いが止むことはないのだ。

 CDやDVDが統一規格なのは、どこか一社が独占的に儲かる仕組みではないからだろう。しかしそう考えるとまたひとつの疑問が生まれてしまう。すなわち「なぜゲームは一社独占体制を好むのか」という疑問だ。



【回答2:ビジネス的な判断から】

 ハードメーカーが一人負けするから

 一方でこんな意見もあった。昔から家庭用ゲーム業界には「ハードよりもソフトで儲けろ」という教訓がある。極端な話、ハードを赤字で売ってもいいからソフトで取り返せ、みたいなところがあったのだ。



 古い例では任天堂「カラーテレビゲーム」の戦略がそうだ。セガサターンも最晩年は売れば売るほど赤字だったという。したがってハードメーカーは儲からないというイメージがこのような回答を生んだのではあるまいか。

 しかしゲームが物体から解放されつつある現代において、そのような傾向は見られなくなったように思う。



【回答3:独占禁止法に抵触する恐れ】

 法律的に無理

 続いてこんな回答も。おそらく独占禁止法のことを言ってるのだろう。実際に過去には任天堂がアメリカでATARIから独禁法で訴えられるということがあった。近年では欧州委員会がSteamのいわゆる「おま国問題」を独禁法の疑いで調査したりと、いろいろキナ臭い動きを見せている。

 ただし、それらはあくまでも結果に付随するものであり、だからできないという理由としては苦しいのではないか。



【回答4:「ゲームの進化」の妨げになる】

 つづいて多かったのがこれらの意見。

 ・個性がなくなる
 ・最低水準に合わせたゲームしか作れなくなる
 ・全てのハードのそれぞれ不得意な分野に合わせないといけなくなる

 まとめると以下の回答に集約されるだろう。すなわち……

 ゲームの進化が遅れる

 進化論を唱えたダーウィン風に述べるならば、競争することで自然淘汰が起こり、より優れたものが残るという寸法だ。

 毎度毎度ファミコンの話で恐縮だが(ここはそういうブログである)、思い起こせば1986年、任天堂がディスクシステムを市場へ投入した狙いのひとつに「クソゲーの淘汰」があったことが想起される。任天堂は「書き換え」という制度を導入することによって、つまらないゲームは子どもたちの手によって自然に淘汰されていくと睨んでいたらしいのだ。

 しかし、よく考えてみると、これらの意見は統一規格ができない理由を述べているようで述べていないことに気づく。なぜなら、それは裏を返せば「ゲームの進化が遅れるからあえて統一してない」と言っているようなもの。そんなわけなかろう!

 そもそも統一規格だと進化が遅れる、という根拠に乏しいように思うのだ。



【回答5:歴史が物語る】

 MSX、3DO、ことごとく散った

 このような哀愁漂う回答も見つけた。その昔、幾度となく行われた統一規格へのチャレンジはことごとく失敗に終わったという。歴史が物語るといったところか……

 これは回答というよりも昔話である。



【回答6:神の存在証明】

 1~5、どの回答も個人的にしっくり来ないので、最後に少し神の存在の話をしよう。



 古代ギリシャの哲学者たちの間で「神は存在するのか」という命題は大人気だったわけだが、ある日、ひとりの男が画期的な答えを導き出したという。雑に要約すると、すなわち以下である。

「神」という言葉には元々「存在する」という意味が含まれている
 ※詳しくは「神の存在証明」でググってちょ

 目から鱗とはこのことだ。なんのことはない。極端に言ってしまえば「神は存在するのか」と問うことは「存在は存在するのか」と問うようなもの。日本へ来日する、左へ左折する、と言ってるようなものだったのだ。そういうことは早く教えて欲しかった……

 ではこの論法に倣い、ゲームの場合を考えてみよう。一般的な家庭用ゲーム機のソフトは「コンピュータプログラムの塊」である。逆に言えばプログラムの塊を、わざわざ物体化したものがゲームである。汎用性の高いコンピュータプログラムを、限定されたハードでしか動かないよう、わざわざ物体化したものがゲームであると表現してもいい。つまり、もうおわかりかと思う。ゲームという言葉の中にはもともと「非統一規格化する」というニュアンスが含まれているのではないか、というのが私の見解だ。

 故に、表題「なぜゲームには統一規格ができないのか」は、質問の時点で既にトートロジー的な矛盾を孕んでいたというわけである。言うなれば、なぜ渡米するやつはアメリカばかり行くのか、なぜ左折すると右へは曲がれないのか、と問われているようなものだったのだ。そりゃうまく回答できんわ!



orotima-ku1.png君ならどう答える?

ファミコンカセットコンプリートに『バトルラッシュ』を含めるべきか問題


◆最後の壁◆

 ファミコンカセットコンプリート最後の壁として名高いデータック専用ソフト『バトルラッシュ』。先日のオークションでも30万円に迫る結果に終わっていた。

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 ※出典:美品・FC『データック専用バトルラッシュ』箱・... - ヤフオク!


 そもそも『バトルラッシュ』に30万円の値がついたのは2016年10月のことだった(参照)。

 そのときの私が以下のようなコメントを残していたことを考えると同ソフトが近年になって、急激に高騰化していることがわかるのだ。

 各店舗、慌てて値段をつけかえてたりして(笑)

 このソフトは、ファミコン再評価時代の初期から既に一部マニアの間では、レアソフトとして有名ではあった。しかしながら骨董品でも美術品でもない所詮はファミコンソフトだ。いくら希少品といえども、ほんの一昔前までせいぜい5,6万円だったのだ……



◆定説の誕生◆

 レトロゲームの高騰化が叫ばれる現代においても、ファミコンカセットコンプリートを目指すコレクターは多い。

 20数年前、「安いから」という安易な動機で集めた人間からすると、新しい世代のコレクターたちの情熱には頭が下がる思いである。しかし僭越ながら私オロチは、どうしてもそんな彼らへ、ひとつの疑問をぶつけたいのだ。それはコンプの定義だ。具体的にいうとファミコンカセット総数の定説1053本を信じる根拠をお伺いしたいのである。

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 ※レベルX図録「ファミリーコンピュータ1983-1994」(太田出版)の帯

 そもそも、この数字はファミコン20周年のおりに開催された「レベルX」というイベントで、ファミコンソフトを全部展示するという目玉企画が行われた際に確定的になったものだ。それはファミコン総数1252本(カセット1053本+ディスク199本)という定説が生まれた瞬間だったと表現しても差し支えないだろう。

 改めて、レベルX図録「ファミリーコンピュータ1983-1994」の帯を見てみると「任天堂全面協力」という文字が誇らしい。これを機に多くのコレクターたちが1242本を「公式の数字」だと認識するようになったのだ。




◆公式タイトル数◆

 ――だがしかし、である。

 一方で、任天堂は公式サイトにて「連結地域別発売タイトル数」という名目で、ファミコンの総数を発表していたのだ。その内容によると、任天堂の公式な数字では1047本ということになっているのを、果たして何人のコレクターがご存知だろう?

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 参照:ファミコン総数問題解決か!? 任天堂公式「1047本です」の謎


 この数字にはディスク(199本)が含まれていないことが予想できる。

 定説1252 - ディスク199 = 1053
 連結地域別発売タイトル数 = 1047


 だとしても定説より6本も少ないのだ。この差が気にならない理由を探すくらいなら、ツチノコを探していたほうがマシである。




◆余分な6本◆

 せめて任天堂さんが内訳を公表してくれたらありがたいのだが。いや、それどころか、内訳さえ公表してくれれば万事解決なのだが、問い合わせてみたところ「公開してる情報以外はお答えしていない」との回答を得るにとどまった。

 しかし、だからと言って、公式が1047本って数字を公開しているのにも関わらず、いつまでもたってもレトロゲーム界が1252本(カセット1053本+ディスク199本)を総数として採用していることに、何か深い意味はあるのか。※1

 ※1:ディスクの総数に関しては『ガチャポン戦士(書き換え版)』を除外した数198本説が近年、有力となりつつあるが、今回のエントリーではそのあたりの詳細は割愛する。

batrurasshu01.jpg
 ※こちらはオロチ所有のバトルラッシュ。


 今さらそんなこと言ったって、その数字で定着してるんだからなんて諦めムードの御仁には、かつて、ファミコンカセット総数は1042本だったし、1048本だったという昔話を、しゃがれ声で語り始めなければなるまい…… 

 参照記事:ファミコンの全タイトル数は本当に1252本か!?

 いや、詳細は↑この記事に譲ろう。そんなことよりも気になるのは、やはり定説が余分に加えてしまった6本のタイトル名なのではあるまいか。もしかしたらその中に『バトルラッシュ』が含まれているかもしれないじゃないか!




◆個人的見解◆

 結論から言うと、私としては、ファミコンの総数には「段階がある」というのが個人的な見解だ。

 たとえば、いっそのこと『バトルラッシュ』含むデータック系や子ガメ系、カラオケ系のような特殊形状のROMを除外して、通常形状のROMのみを集めたらファミコンカセットコンプリートってことでいいじゃないか、というのが私の意見のひとつ。

besutopure-90jun0.jpg
 リンク:ベストプレープロ野球 データROM 90-Jun.(ヤフオク!)

 逆に子ガメ系、カラオケ系を含めるなら同じく追加データの役割を果たしていた『ベストプレープロ野球データROM'89-Apr』と、近年になってその存在が確認された『同'90-Jun』(参照)が含まれていないと辻褄が合わないし、追加データでは無いものの、特殊形状であり、データROMや「アイアムティーチャー」シリーズ同様、販売ルート違いでもある「NHK学園」シリーズだって含めなければならない、というのも、私の意見のひとつ。

 要は総数について、いつの間にかレトロゲーム界に定着してしまった矛盾をひとつひとつ解消していき、形状違いなど、一定の条件で線引きをすることで、「ファミコン総数」を段階的なものとして捉え直してみてはどうか、というのが私オロチの立場である。詳しくは7月11日発売「懐かしパーフェクトガイド Vol.4」に掲載される私のコラムを読んでね!

 以上。宣伝でした(笑)







orotima-ku1.png宣伝かい!



 関連記事:レトロゲームコレクターを悩ませる「コンプリートの壁」の正体
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管理人:オロチ


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